輝いてたあの頃へ/85~86年のRCサクセション
ちょうど1ヶ月位前、ここで『THE 仲井戸麗市BOOK』や「海辺のワインディング・ロード」なんか取り上げて久々に聴きこんでから、この辺が出た時期、85年頃のRCのことをいろいろ思い巡らせる日々が続いてる。
80年の『ラプソディー』以降、どんどん上昇してった社会現象的なブームもミーハー人気も完全に沈静化したのがこの時期。その後、87年の清志郎の初のソロ・アルバム『レザー・シャープ』、88年の『COVERS』、89年のタイマーズ、90年の20周年とメンバー離脱の末の活動停止といった動きを思い起こすと、この85年~翌86年が一番、一般的には話題性に乏しい時期だったと思う。
でも、俺はこの時期に強力に思い入れがあるんだよ。85年に成人を迎え社会人となった自分の環境の変化も関係してたかもしれない。今まで判ったふりして聴いてた曲をもっと深い意味で聴けるようになったし、ワケあってダウナーになってた時にRCの曲に力を貰ったりもしたから。それと「未だにRCなんか聴いてんの?」みたいなこと言うヤツ(沢山いた)に対する反発心もあったと思う。「今もつうか前より良いんだよ、バカヤロウ!」とか言って。(こういうこと言ってるヤツって『COVERS』とかの話題になってる時期だけ戻ってくるんだよね。“戻って来んな!”って気持ちだった)だけど、それだけじゃなく、この時期ならではの独特のムードがRCにはあったと思う。
上昇期には一丸となってたメンバーの関係性も微妙に変化して。何枚もアルバムを出して、ツアーも沢山やって、TVやCMもこなし、チャック・ベリーやサム・ムーアとスタジアム・ライヴもやって。あつれきのあった所属事務所も独立。後は余計なこと考えずに自分たちの好きに活動にしてけばいいってカンジだったろうけど、この辺りからメンバー間の考え方に少しづつズレが出てきてたんじゃないだろうか?
85年初頭、独立後すぐの、ミイラの格好でのPARCOのCM出演。当時は知るよしもなかったけど、ここで清志郎とチャボがぶつかる。嫌がるチャボを説得する清志郎と途中で逃げたというチャボ。どの程度、揉めたのか判らないし、どちらにも言い分があっただろうし、どっちが良い悪いとは言えないけど、ひょっとするとコレが切っ掛けだったのかもしれない。以前から計画があったとはいえ、同年夏に『BOOK』が出たのも無関係じゃないのかも。
11月には「ビートルズで言うと『ホワイト・アルバム』のような」と後に清志郎が言った『ハートのエース』がリリース。
チャボの唄う「GLORY DAY」は衝撃だった。俺は病的に深読みするヤツだけど、それにしてもコレはどう聴いても清志郎とのことを唄ってるとしか思えなかった。今回、聴きなおして初めて思ったけど、「海辺の~」の清志郎も、もしかしたらチャボに向けて唄ってんのかな?
♪BABY もう君のことを
今までのようには見れない♪
そう考えると、この歌詞カードの清志郎の不機嫌そうな表情もチャボのサングラスも意味がありそうだ。
こんなことをつらつら考えてたある日、1枚のディスクが手元に届く。
RCサクセション『the TEARS OF a CLOWN』
86年の、5年ぶりの日比谷野音でのライヴを収録したDVD
CROWNじゃなくCLOWNなのがいいよね。清志郎は「本当はCROWNだったんだけどスペルを間違えて」と嘘ぶいてたけどね(笑)
コレ、同名のライヴ・アルバムも出てて(収録曲が微妙に違う。CDの方が4曲多い)そっちもサイコーだけど、映像も負けず劣らずサイコーだ。
ずっとVHS(しかもコピーもの)しか持ってなくて、欲しい欲しいと思いつつ入手してなかったら、心優しい友人が送ってくれた(ちゅう吉さん、サンクス!)
今までに何十回、何百回観たか判らないけど、やっぱりいい、今観ても。
屋根裏時代に始まるブッ飛んでた上昇期。R&Bの影響もあり、芝居がかってるほどにショウアップされてた人気絶頂期。どっちの時期も大好きだけど、この時期も格別だ。
確かに上昇期の一丸となってた空気はあまり感じられない。クールというか落ち着いてるというか。余裕しゃくしゃくで自分の仕事をこなしてるカンジ。でも、それは言い方変えると、純粋に自分のパートに打ち込んでるってことだと思う。そんな中にも熱くなってる瞬間もあって。そこがまたいい。
あとさ、あったかいんだよ、雰囲気が。記事前半に書いたような事情もあってか、引っ込み気味に弾いてるトコに(ふざけて)思いっきり近づいて来て吹きまくる片山にチョップするチャボ(勿論、スゲー嬉しそうに)。ドラムセットに風船が飛んで来ちゃってコーちゃんが困ってるとすかさず(笑顔で)取り除きに来る梅津さん。
バラバラになりかけてるんだけど、ギリギリでまだ“ひとつ”だったんだと思う。清志郎とチャボだって、いろんな思いはあっても心の奥底じゃ繋がってたんだろうな。じゃなきゃ、後年に共演した時のあの幸せそうな雰囲気は出ないだろう。
俺はこの野音は残念ながら観てないんだけど、同年3月の地元公演でも「Sweet Soul Music」の挿入曲はコレと同じく「STRAWBERRY FIELDS FOREVER」だった。♪レノン・ガッタ・フィーリング・ナウ♪じゃなく♪ジョニー・ガッタ・フィーリング・ナウ♪って言ってた。そっちの方がカッコイイよね?
この映像集のハイライトとも云える、6年ぶりに演奏された「ヒッピーに捧ぐ」での清志郎。“熱くなってる”というか完全に入ってて圧巻。こんなの毎晩、唄えないよね、そりゃ。
以前、有賀幹夫の写真集を紹介した時に触れた、「打破」でチャボの肩に手を乗せジャンプする清志郎。うーん、カッコイイ!
そういや、この時期(86~88年)ってバンドの名義がRC SUCCESSIONからTHE GREAT RC SUCCESSIONに変わってたんだよね。リリースもののクレジットではコレだけだけどチケットにもそう銘記されてた。あれ何だったんだろう?
| 固定リンク
「RC SUCCESSION」カテゴリの記事
- どうぞ勝手に降ってくれ、ポシャるまで(2017.10.25)
- スピーカーのなか居るような あなたの声はとてもやさしい(2017.10.09)
- 甲州街道はもう秋なのさ(2017.09.12)
- さらば夏の日 2017.AUG.(2017.08.31)
- The Time They Are A‐Changin’(2017.05.18)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント
その節は ありがとうございました!!
あの日の野音を思い出しちゃって
もう涙無しには観れませんでした。
ヒッピーでのシーン
後にこの映像が出て もう一度感極まってしまった事。
(あの 風がステージを吹きけるとこ。)
ラモスカさんのおかげで
もう一度 味わうことができました!
THANKS!!
投稿: kenbo | 2010年9月30日 (木) 19時09分
>kenbo様
お礼ならちゅう吉さんに言ってください!
そうかkenboさん、コレ生で観てんだよねぇ。
羨ましいな~。
「ヒッピー」の風が吹いて清志郎のシャツがブァ~ってなるトコでしょ?
kenboさん、ブログに書いてたよね?
俺もあそこは強烈に残ってました。
お互い、また観れてよかったよね。
ちゅう吉さん、サンクス!
投稿: LA MOSCA | 2010年9月30日 (木) 21時46分