クズがここにいるぜ
やっちまったな、今日は。
如何に仕事に身が入ってないかを思いきり露呈してきたよ。
本当はそうじゃないのを判りつつ、自分を誤魔化して強引に何でも自己肯定する図太い俺も、コレはダメだと思った。これじゃ、ただのクズだ。
クズと言えば、この間の休日にこの映画を観た。
何故かこの手のドロッとした後味の悪そうなえげつない映画ばかり観てる最近(元々、好みではあるんだけど)ではあるけど、そのどれもに良い感想を持ててるワケでもなくて。
予告で煽ってた程でも無かったり、ただただえげつないだけ、後味悪いだけってのも多々ある。
でも、コレは近年観た中でもかなり良かった。『紙の月』や『渇き』と共に。
主要登場人物が皆、どこか歪んでるんだけど丁寧な、それでいて説明過多に陥らない描写で描かれててとても説得力がある。
たとえば、主人公・葛城清(三浦友和)が毎日座り続ける金物屋の椅子に長男・保(新井浩文)が座り、その視点から清の世界の狭さを教えてくれるシーンとか上手いなと思った。
幾つかの事件、実話を元に本が書かれたのかもしれないけど、ある意味、設定は類型的だし、ストーリーも予想出来るカンジで進んでいくんだけど、この丁寧さで妙にリアリティあって怖い。
そして、‟こんなヤツ居ねえよ”から程遠い、‟ああ、居る居る、こういうヤツ”ってカンジが尚、怖い。
更に‟自分も予備軍かもしれない”と思わされるところがより一層、怖い。怖すぎる。
映画の肝はエンディングだな。あっぱれなクズっぷり。変な話、爽快感すら感じた。自分は‟まだ”ここまでクズじゃないと思えたからか、俺だけじゃないと思えたからか・・・。いずれにしても人間っていいこと言っててもこんなもんだよなって思ったのは確か。
こじつけるのは見事に主人公を演じた三浦友和の高校の同級生のこの曲。
♪川のほとりで自殺を考えた
だけど怖いからやめた♪
この歌い出しの鮮烈さが、さすが清志郎。
99年、その当時の何処か軽く、誤解を恐れずに言えばコミカルでさえあった作風から一変したシリアスなタイトルとジャケの『冬の十字架』の1曲。印象的なジャケの撮影場所は清志郎の父親(養父)が晩年、独りで暮らしてた清志郎の実家。背景には清志郎が五年生の時に描いた絵や『愛しあってるかい』やロッキンオンや写楽らしきモノも。
それにしても、この清志郎の黄昏具合は凄い。見事に中身を反映してるよな。「君が代」が収録されてて発売でまたまた揉めてそれが話題だったけど俺の関心はそこじゃなくてこの辺だったね。‟崖っぷち”だったのかもな、ホントに。
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